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仮説社刊の本を紹介させていただきます。
ロバート・フック著 板倉聖宣・永田英治訳
『ミクログラフィア―微小世界図説』
本書は,1665年にイギリスの科学者・ロバート・フックによって書かれた本です。ロバート・フックの名前は耳にしたことがある方もいらっしゃると思います。ばねに関する「フックの法則」や,細胞の発見者として有名な科学者です。
本書には,そのコルクの細胞を顕微鏡で観察した図や,のみを顕微鏡で拡大してみた図が載っています。
科学史に興味のある方はぜひ手にとってご覧ください。
訳者あとがきから一部を引用します。
〔訳者あとがきより〕
じっさい,「この訳書の最大の意義は,ロバート・フックという人の想像力のたくましさを知ることにある」といってもよいと思います。フックの名は,これまで「弾性(ばね)に関するフックの法則」の発見者または「細胞」の最初の発見者として知られるほか,「たえずニュートンと先取権争いをしてニュートンに嫌われた人」として有名だったりするのですが,私はニュートンよりフックの想像力のたくましさのほうに強くひかれるのです。
……
この本は「身近にある雑多なものを思いつくままに顕微鏡で観察し,図に記録しただけのもの」と誤解されてきて,とても低い評価しか与えられてこなかったわけですが,フックがその顕微鏡でいちばん見たかったものは原子や分子そのものだったような気がします。結局原子や分子は見えなかったわけですが,フックはそれでもその関心をすてきれず,この本の最初に毛細管や分子運動論の生き生きした話を書いているのだと思うのです。この本の図版をながめただけだと,「最初に顕微鏡を手にした人なら,だれでもこのくらいの観察はできる」と思う人がいるかもしれませんが,けっしてそういうことはないのです。
ガリレオは望遠鏡を自分でつくって,それでもって天文学上の大発見をしました。しかし,「だれだって最初に望遠鏡を手に入れれば,そのくらいの発見はできる」と思うと大まちがいです。いや,「頭のいい天才ならば」と限定してもダメなのです。じつは,ガリレオは顕微鏡もつくって微小な世界ものぞいているのですが,こちらでは細胞はもちろんのこと,何も発見していないのです。ベネチアの元老院のお偉方たちは,ガリレオのつくった望遠鏡をはじめて手にして,遠くからやってくる船や人間を見ただけででしたが,ガリレオも「顕微鏡でみるとアリが巨大に見える」とおどろいただけだったのです。いくら頭のよい人でも,とくにチャンスを得てすぐれた問題意識をつかまないと,すばらしい実験道具を手にしてもおいそれとそう大発見ができるものではないのです。
板倉研究室
2015年10月に,仮説社は高田馬場から巣鴨に引っ越しましたが,そのとき,それまで同じビルに同居していた板倉研究室も引っ越しをしました。
板倉研究室の転居先は,調布です。
itakurakenkyusitu.blog.fc2.com
巣鴨と調布と,ちょっと離れてしまいましたが,ときどき調布に顔を出すようにしています。
昨日も,おじゃましてきましたが,板倉先生は,「ご自宅での原稿書きがすごく進んで疲れた」とのことで,研究室にはいらっしゃいませんでした。が,お電話のお声はとってもお元気な響きでした。
仮説社史上最大の祭
物差しマスキングテープ
月刊『たのしい授業』
仮説社の発行している月刊誌『たのしい授業』の紹介をします。
本日,3月3日は『たのしい授業』2016年3月号の発売日です。3月号は,第34巻第1号です。通巻446号になりました。
『たのしい授業』の創刊は,33年前の1983年3月3日ですので,本日は創刊記念日です。今年で33周年を迎えました。
創刊記念日ということで,ちょっと,創刊の頃を振り返ってみたいと思います。
創刊0号,1983年3月号には,編集代表の板倉聖宣(いたくらきよのぶ)さんの「創刊の言葉」が載っています。一部を転載します。
いまなぜ「たのしい授業」か
- 創刊の言葉一
たのしいことを,たのしく
私たちはいま,多くの人びとの知恵と経験と力とをよせ集めて,ここに月刊『たのしい授業』を創刊します。
これまで「たのしい学校,わかる授業」という言葉はよく耳にしましたが,「たのしい授業」という言葉はあまりきかれませんでした。「学校には友だちがいて,休み時間があって,たのしいことがあるけれど,授業はたのしいなんていうことがない」という考えがあるからでしょう。もちろん「授業はわかればたのしくなる」という考えもあります。しかし,子どもにはおもしろいとは思えないようなことを,やたらにわからせようと努力するあまり,授業がかえって重苦しいものになっていることも少なくないのです。
人類が長い年月の間に築きあげてきた文化,それは人類が大きな感動をもって自分たちのものとしてきたものばかりです。そういう文化を子どもたちに伝えようという授業,それは本来たのしいものになるはずです。その授業がたのしいものになりえないとしたら,そのような教育はどこかまちがっているのです。
子どもたちが自らの手で新しい社会と自然をつくっていく,そう いう創造の力を育てようというのなら,なおさら,その授業はたのしいものでなければならないはずです。たのしい創造のよろこびを味わうことなしには創造性など発揮できないからです。だから私たちは,「今なによりも大切なのは,たのしい授業を実現するよう,あらゆる知恵と経験と力とをよせ集めることだ」と考えるのです。
教育を根本的に問いなおす
「わかる授業」でなく,「たのしい授業」を実現するためには,いまの子どもたちに「なぜ,何を教えようとするのか」というところまでたちかえって検討することが必要になってきます。だれかから与えられた教育内容や伝統的な教材をそのままにしていたのでは,たのしい授業を実現することは困難なのです。
改めて思いなおしてみると,「これまでの教育内容は,長い間のエリート中心教育の伝統の中で,基本的に差別選別のための道具として工夫されてきたものがしっかりと定着してしまった。だから,そのような授業はなかなかたのしいものとなりえないのだ」ともいえるのです。
私たちはそのような教育を根本的に問いなおすためにも「たのしい授業の実現」という視点を大切にしたいのです。そしてこれまでの日本や世界の教育を支配してきた教育のワクをとりはらって,発想の転換をおこないたいと思います。自由に大胆に考え,教育の理想を高め,教材の質を向上させていきたいのです。
〔以下省略〕
「勉強というのはつらいもので,それを乗り越えないといけない。それを教えるところが学校である」ということが当然であった30年前には,「授業がたのしくなるなんて考えられない」と思われていました。しかし,『たのしい授業』誌はそんななかで,子どもたちが「たのしかった!」と言ってくれるような授業プランを発表し,実践報告を載せ続けてきました。
そして,30年前に比べると,いまでは「たのしい授業」という言葉は,ほとんど抵抗なく使われていると思います。そういう意味では,本誌は日本の教育界を少しづつではあるが,確実に変革してきたといっていいと思います。
しかしまだまだ道半ばであります。今後も引き続き「たのしい授業」が当然の事になる社会を目指して出版を続けてゆきます。
共に歩んでくださる方が増えることを願っています。よろしくお願いいたします。
続・巣鴨の街のことが書いてある本は?
会社が巣鴨に引っ越したので、せっかくだから巣鴨のことが知りたいと、昼休みにはせっせと会社の周辺を歩きまわり散策にはげんでいます。また、巣鴨の街のことを書いた本はないかと探しています。
で、もうひとつ見つけました。
木﨑茂雄『ぶらり、ゆったり、今こそ癒しの街・巣鴨――とげぬき地蔵通り商店街の新たな挑戦』です。
著者の木﨑茂雄さんは、巣鴨地蔵通り商店街理事長です。
理事長となれば、なんとかして地蔵通り商店街を盛り上げていかねばなりません。
地蔵通り商店街が「おばあちゃんの原宿」といわれはじめた頃で、1990年代の事だったようです。それが、2000年すぎにはだんだんと人出が減ってきています。しかしこれはなにも地蔵通り商店街だけのはなしではありません。その時期というのは、全国的に景気は低迷しているわけです。
しかし、理事長ですから、何か対策を考えなくてはなりませんね。そこで、商店街の端っこにある大正大学をまきこんだり、「人生の辛いとげをたくさん背負っているおばあちゃん」を惹きつけている「とげ抜き地蔵」のある高岩寺や、商店街の入り口にある、第三番江戸六地蔵尊のある眞性寺などと協同でいろいろな手立てを考えたり催したりしつつ、商店街に人を呼ぼうと努力しているのです。
この本には、そういう商店街の歴史から、今まさに取り組んでいるいろいろな企画について書かれています。もちろん商店街の店の話も出てきますので、商店街のよい紹介の本にもなっています。読むと、この店に行ってみたいと思う店が見つかることまちがいなしです。
巣鴨の地蔵通り商店街に興味を持っている方はぜひ読んでみることをおすすめします。
巣鴨の街が書いてある本は?
仮説社が高田馬場から巣鴨に引っ越してきてそろそろ半年近くになろうとしています。お昼を食べるために行く食堂もそろそろ行き尽くした感じです。
せっかくだから巣鴨の街のことを書いている本はないかなあと探していると、前回のブログでも紹介しましたが、こんな本がありました。
読んでみました。
詩人の伊藤比呂美さんの日記と言っていいのかどうかは定かではありませぬが、まあ日々の出来事を書き綴っているということでは、やはり日記のようなものと言っていいのではないでしょうか。
「新巣鴨地蔵縁起」と書名にあるから、巣鴨の街の話が書かれているのではないかと思って読んでみました。たしかに巣鴨の地蔵通りやとげ抜き地蔵のある高岩寺の話は出ては来ますが、ほんの少しだけでした。巣鴨の街のことを知りたいというわたしの願いは叶えられませんでした。
が、なんだかぐいぐいと迫られて、とうとう全部読んでしまいました。イギリス人の夫との話とか、娘のこととか、要介護状態の親の話とか、わたし自身の関心事と重なるところが多かったせいでしょうか、なかなか面白かったです。流石に詩人だけありますね、読ませる文章だと思います。
それにしても、巣鴨の街のことを書いた本はないもんでしょうか?
もうちょっと探してみます。