月刊『たのしい授業』
仮説社の発行している月刊誌『たのしい授業』の紹介をします。
本日,3月3日は『たのしい授業』2016年3月号の発売日です。3月号は,第34巻第1号です。通巻446号になりました。
『たのしい授業』の創刊は,33年前の1983年3月3日ですので,本日は創刊記念日です。今年で33周年を迎えました。
創刊記念日ということで,ちょっと,創刊の頃を振り返ってみたいと思います。
創刊0号,1983年3月号には,編集代表の板倉聖宣(いたくらきよのぶ)さんの「創刊の言葉」が載っています。一部を転載します。
いまなぜ「たのしい授業」か
- 創刊の言葉一
たのしいことを,たのしく
私たちはいま,多くの人びとの知恵と経験と力とをよせ集めて,ここに月刊『たのしい授業』を創刊します。
これまで「たのしい学校,わかる授業」という言葉はよく耳にしましたが,「たのしい授業」という言葉はあまりきかれませんでした。「学校には友だちがいて,休み時間があって,たのしいことがあるけれど,授業はたのしいなんていうことがない」という考えがあるからでしょう。もちろん「授業はわかればたのしくなる」という考えもあります。しかし,子どもにはおもしろいとは思えないようなことを,やたらにわからせようと努力するあまり,授業がかえって重苦しいものになっていることも少なくないのです。
人類が長い年月の間に築きあげてきた文化,それは人類が大きな感動をもって自分たちのものとしてきたものばかりです。そういう文化を子どもたちに伝えようという授業,それは本来たのしいものになるはずです。その授業がたのしいものになりえないとしたら,そのような教育はどこかまちがっているのです。
子どもたちが自らの手で新しい社会と自然をつくっていく,そう いう創造の力を育てようというのなら,なおさら,その授業はたのしいものでなければならないはずです。たのしい創造のよろこびを味わうことなしには創造性など発揮できないからです。だから私たちは,「今なによりも大切なのは,たのしい授業を実現するよう,あらゆる知恵と経験と力とをよせ集めることだ」と考えるのです。
教育を根本的に問いなおす
「わかる授業」でなく,「たのしい授業」を実現するためには,いまの子どもたちに「なぜ,何を教えようとするのか」というところまでたちかえって検討することが必要になってきます。だれかから与えられた教育内容や伝統的な教材をそのままにしていたのでは,たのしい授業を実現することは困難なのです。
改めて思いなおしてみると,「これまでの教育内容は,長い間のエリート中心教育の伝統の中で,基本的に差別選別のための道具として工夫されてきたものがしっかりと定着してしまった。だから,そのような授業はなかなかたのしいものとなりえないのだ」ともいえるのです。
私たちはそのような教育を根本的に問いなおすためにも「たのしい授業の実現」という視点を大切にしたいのです。そしてこれまでの日本や世界の教育を支配してきた教育のワクをとりはらって,発想の転換をおこないたいと思います。自由に大胆に考え,教育の理想を高め,教材の質を向上させていきたいのです。
〔以下省略〕
「勉強というのはつらいもので,それを乗り越えないといけない。それを教えるところが学校である」ということが当然であった30年前には,「授業がたのしくなるなんて考えられない」と思われていました。しかし,『たのしい授業』誌はそんななかで,子どもたちが「たのしかった!」と言ってくれるような授業プランを発表し,実践報告を載せ続けてきました。
そして,30年前に比べると,いまでは「たのしい授業」という言葉は,ほとんど抵抗なく使われていると思います。そういう意味では,本誌は日本の教育界を少しづつではあるが,確実に変革してきたといっていいと思います。
しかしまだまだ道半ばであります。今後も引き続き「たのしい授業」が当然の事になる社会を目指して出版を続けてゆきます。
共に歩んでくださる方が増えることを願っています。よろしくお願いいたします。